高知医科大学後期(面接)受験記録
2003年3月13日6:30起床。悪友Iのモーニングコールで目覚める。スーツを着用し、荷物はホテルに預けて出発。高知駅周辺からタクシー使用(所要20分/昨日より車両混雑)。面接は、受験番号の早い順から第四グループまで割り振られていた。第一グループ(8:30集合)に割り振られていたため、朝からバタバタしながら移動。同じ第一グループで仲良くなった一浪女性Kさんは、時間がなくて朝食もとらずにタクシーを飛ばしてきた、とのこと。5-10分遅刻してきた受験生も2人いた。
集合場所は、昨日の筆記試験会場とは別の建物。目立たぬ建物、非常口のようなところから入館させられた。昨日きちんと場所確認していなかったら、多分定刻までに受験会場に辿り着けなかっただろう。
まず150-200人収容の大講義室のようなところに通された(8:35)。そこで、9:00くらいまで待機。ほとんどの人が、何もせずただ前を向いていた気がする。待たされる時間が長かった人は、面接マニュアル/ノートに目を通していた。私も昨日まとめたノートを最終確認。次に受験番号の早い順から10分間隔で3人ずつ呼ばれ、別の小部屋(ゼミ室ような小さい部屋)外の椅子まで先導される。そこでまた待機。5分くらい待つと自分の受験番号を呼ばれ、小部屋の中に入るよう指示される。
面接開始。
<面接形態>
-----------
● ○ ○←面接官(●は質問係、○は採点係)
☆←時間計測係
◎←私
-----------
. _|←待機スペースと椅子3脚
-----------
<時間>10分
<質問内容>
●「高知医科大学の面接を始めますが、面接に関しては幾らか知っていますか。毎年色々変えてはいるのだけれども、今年はある想定のもとに起こる困難について、どのように対処していくか意見を述べてもらいます。」
↓
「大学医学部を卒業の後、研修を経て卒後三年経過。雪深い土地、たとえば北海道の過疎村にある医師一人のみの診療所に赴任したと想定してください。そこで起こる困難やそのほかのことは、どんなことが予想されますか?」
これから派生して色々と質問された。面接の雰囲気は非常に和やかで、●面接官は終始笑みを絶やさず、こちらの主張を最後までよく聞いてくれた。何となく気弱な感じにさえ見えた。恐らくこちらをリラックスさせて意見を述べさせるために、わざとそういう役を演じているのだろうと推測。○面接官2人にはほとんど視線を合わせなかったが、私の説明に手がついたり(ジェスチャー)、稚拙な言葉(話を聞くとき、ウン、ウンと言いながら頷いてしまう癖)を使ったとき、いきなりカリカリと何か書き出していた(態度)。他、与題に対して論理的思考が出来ているかをチェックされていた気がした(答えを返す度に何か書いていた)。考える時間が長いときも何か書かれていた気がする。
派生質問の内容
「先端医療から遅れることには、どう対処していくか」
「ある日、雪が1-2m積もって急患が入った。そのときどう対処するか。」
「君は九州出身だが、北海道とかいうそういう寒いところでもやっていけそうか」
「医師一人のみの診療所(看護師なし)に赴任中だが、都心の研修会に出かけて先端医療の勉強をしてくるときどう対処するか」
「休みがほとんど取れないと思うのだが、趣味はどうするか」
終わった直後は、よく答えられた、と思った。がしばらく時間が経ってみると、少しズレた回答をしていた部分も多々見受けられたことに気づく。面接官から与えられた想定場面を、部分的に分析し漏らしていたことが原因。とくに「大卒後、研修を経て卒後三年経過。」の部分。少ない臨床経験で、しかも即座には他医療従事者からの応援を受けられない状態では、もっと出来ることは少なかったはず。雪をほとんど経験せず育ってきているため、非現実的な対処法を主張してしまった部分あり。
恐らく、その部分は「論理的思考が出来ていない/状況分析不適当」とマイナス評価をされていることだろう。
あっという間に10分は過ぎた(9:40退館)。緊張していたせいと、考えることに必死になっていたせいだろう。
…今回、役に立ったことは僅かながらやっている大学レポート作成手順(論理的思考)。それから社会人経由の医学生の方とのwebでのやりとり、医療系の旧友TとMとのコンタクト。視点が、私よりずっと広い。そして大学は…。02面接質問の誤答からもわかるように、そういう人を必要にしているのだ、と思った。今後もっと、様様な分野出身の医療系の方とのコミュニケートをとっていくことが必要。
集合場所は、昨日の筆記試験会場とは別の建物。目立たぬ建物、非常口のようなところから入館させられた。昨日きちんと場所確認していなかったら、多分定刻までに受験会場に辿り着けなかっただろう。
まず150-200人収容の大講義室のようなところに通された(8:35)。そこで、9:00くらいまで待機。ほとんどの人が、何もせずただ前を向いていた気がする。待たされる時間が長かった人は、面接マニュアル/ノートに目を通していた。私も昨日まとめたノートを最終確認。次に受験番号の早い順から10分間隔で3人ずつ呼ばれ、別の小部屋(ゼミ室ような小さい部屋)外の椅子まで先導される。そこでまた待機。5分くらい待つと自分の受験番号を呼ばれ、小部屋の中に入るよう指示される。
面接開始。
<面接形態>
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● ○ ○←面接官(●は質問係、○は採点係)
☆←時間計測係
◎←私
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. _|←待機スペースと椅子3脚
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<時間>10分
<質問内容>
●「高知医科大学の面接を始めますが、面接に関しては幾らか知っていますか。毎年色々変えてはいるのだけれども、今年はある想定のもとに起こる困難について、どのように対処していくか意見を述べてもらいます。」
↓
「大学医学部を卒業の後、研修を経て卒後三年経過。雪深い土地、たとえば北海道の過疎村にある医師一人のみの診療所に赴任したと想定してください。そこで起こる困難やそのほかのことは、どんなことが予想されますか?」
これから派生して色々と質問された。面接の雰囲気は非常に和やかで、●面接官は終始笑みを絶やさず、こちらの主張を最後までよく聞いてくれた。何となく気弱な感じにさえ見えた。恐らくこちらをリラックスさせて意見を述べさせるために、わざとそういう役を演じているのだろうと推測。○面接官2人にはほとんど視線を合わせなかったが、私の説明に手がついたり(ジェスチャー)、稚拙な言葉(話を聞くとき、ウン、ウンと言いながら頷いてしまう癖)を使ったとき、いきなりカリカリと何か書き出していた(態度)。他、与題に対して論理的思考が出来ているかをチェックされていた気がした(答えを返す度に何か書いていた)。考える時間が長いときも何か書かれていた気がする。
派生質問の内容
「先端医療から遅れることには、どう対処していくか」
「ある日、雪が1-2m積もって急患が入った。そのときどう対処するか。」
「君は九州出身だが、北海道とかいうそういう寒いところでもやっていけそうか」
「医師一人のみの診療所(看護師なし)に赴任中だが、都心の研修会に出かけて先端医療の勉強をしてくるときどう対処するか」
「休みがほとんど取れないと思うのだが、趣味はどうするか」
終わった直後は、よく答えられた、と思った。がしばらく時間が経ってみると、少しズレた回答をしていた部分も多々見受けられたことに気づく。面接官から与えられた想定場面を、部分的に分析し漏らしていたことが原因。とくに「大卒後、研修を経て卒後三年経過。」の部分。少ない臨床経験で、しかも即座には他医療従事者からの応援を受けられない状態では、もっと出来ることは少なかったはず。雪をほとんど経験せず育ってきているため、非現実的な対処法を主張してしまった部分あり。
恐らく、その部分は「論理的思考が出来ていない/状況分析不適当」とマイナス評価をされていることだろう。
あっという間に10分は過ぎた(9:40退館)。緊張していたせいと、考えることに必死になっていたせいだろう。
…今回、役に立ったことは僅かながらやっている大学レポート作成手順(論理的思考)。それから社会人経由の医学生の方とのwebでのやりとり、医療系の旧友TとMとのコンタクト。視点が、私よりずっと広い。そして大学は…。02面接質問の誤答からもわかるように、そういう人を必要にしているのだ、と思った。今後もっと、様様な分野出身の医療系の方とのコミュニケートをとっていくことが必要。
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