点数開示2
2003年6月15日大分医科大学(前期日程)個別学力試験得点
200.2/450。
あのときはたしか270.5点以上必要だったはず。結果は-70.3点。敗因は、まともな二次対策をしていなかったこと。すなわちセンター対策しかしておらず、センター終了直後に急いで二次勉を始めた程度では、この点数どまりだということ。
…根本的な原因は、志望校を漠然とした「志望校群」の形でしか絞っていなかったこと。対策するには数が多すぎ、オールマイティーを目指して浅い勉強ばかりしていた。「とりあえずセンター」とばかり中途半端な勉強ばかりしてきた。
今年は最初から受験校を絞る。時間も一層ないのだ。早速、二つの大学の赤本だけ残して、全部売り払った。
新規教材は、7月までに。8月はどうなるかわからない。9月の全統記述、駿台マークを目標に。
200.2/450。
あのときはたしか270.5点以上必要だったはず。結果は-70.3点。敗因は、まともな二次対策をしていなかったこと。すなわちセンター対策しかしておらず、センター終了直後に急いで二次勉を始めた程度では、この点数どまりだということ。
…根本的な原因は、志望校を漠然とした「志望校群」の形でしか絞っていなかったこと。対策するには数が多すぎ、オールマイティーを目指して浅い勉強ばかりしていた。「とりあえずセンター」とばかり中途半端な勉強ばかりしてきた。
今年は最初から受験校を絞る。時間も一層ないのだ。早速、二つの大学の赤本だけ残して、全部売り払った。
新規教材は、7月までに。8月はどうなるかわからない。9月の全統記述、駿台マークを目標に。
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沈黙から脱するために
2003年5月19日忙殺からの帰還。久しぶりにHPを更新しようとすると、サーバーへのID認証が拒否されてしまった。空かしていた時間の長さを痛感する。新しいサーバーで間借りしなければ。
5月。点数開示。センター試験の素点がまず郵送されてきた。次は、二次試験の点数開示。受けてみようかと思う。
5月。点数開示。センター試験の素点がまず郵送されてきた。次は、二次試験の点数開示。受けてみようかと思う。
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4番以内
2003年3月26日 予備校にて転科手続きを取る。当初は勧められるままの国医系上級コースで入塾登録。がその後パンフレットを見直して、志望大用コースが別設置されていることに気づく。職員の方は「どちらも合格率は変わらない/今年はもっと上を狙っては」とのことだったが、後者コースのほうが正規授業カリキュラムとフェローシステムがより志望大にマッチした内容だった。転科の参考にしたいのでとりあえず国医系上級コース/志望大用コース各々のクラス人数と、今年の国医合格者数を各々教えてくれ、と交渉するも「まだ集計が終わっていないので」という一点張りでお茶を濁される。仕方なくロビー掲示してある国医合格者数を数え始める。…Mさんの名前を、何故か2箇所で発見。彼女は、3年前にここを経由して旭川医大に前期合格している。これだと、全然知らない人が見たら、今年合格したように見えるのではなかろうか。
また職員を捕まえ、「今年合格なさった本科生のお名前はどこに張ってあるのでしょうか。」と質問。実際は、たくさん掲示してある分の1/4の規模。21名(東大理?除く)、うち志望大合格者数は8名。在籍コースまではわからなかったが、これが現実的な数字なのだろう。ということは、校内の国医系では20番以内、志望大コースでは4〜8番以内にいないと厳しい。データ信憑性が不明なので即断は不能だが…最終的に志望大コースで4番以内を確保する実力が必要。コース受講者全てが志望大を受験するわけではなく、他コース受講生でも受験してくるとの話だったので合格者8人÷主要2クラス=クラス内4番。もちろん校内順位は合格するための一つの尺度でしかなく、合格が絶対的に保証されるものではない。しかし自分の学力を相対化する比較方法/尺度としては、学力の欠陥部分を見つけて志望大合格水準に到達するのに校内順位確保は有効。いきなり4番は無理。一学期で8番以内、二学期で4番以内を目標に。そのためには…何をすればいいのだろうか。
昨年、いまひとつ取り組みが不十分だった部分
1.志望大対策
⇒早期からの過去問研究/予備校の講座利用/志望大プレ受験
2.データ出力の場の確保
⇒模試を大量に受ける。目標とする模試は河合塾、他模試は演習量確保/場慣れのために受験。何故河合塾か;国公立標準レベル/母集団の大きさ/近隣で受験可能。
3.体調管理
⇒食事と睡眠時間の改善。3食6時間。
4.受験資金集め
⇒23万=受験諸費用7万+旅費16万。前半アルバイト増、生活費さらにカット。
また職員を捕まえ、「今年合格なさった本科生のお名前はどこに張ってあるのでしょうか。」と質問。実際は、たくさん掲示してある分の1/4の規模。21名(東大理?除く)、うち志望大合格者数は8名。在籍コースまではわからなかったが、これが現実的な数字なのだろう。ということは、校内の国医系では20番以内、志望大コースでは4〜8番以内にいないと厳しい。データ信憑性が不明なので即断は不能だが…最終的に志望大コースで4番以内を確保する実力が必要。コース受講者全てが志望大を受験するわけではなく、他コース受講生でも受験してくるとの話だったので合格者8人÷主要2クラス=クラス内4番。もちろん校内順位は合格するための一つの尺度でしかなく、合格が絶対的に保証されるものではない。しかし自分の学力を相対化する比較方法/尺度としては、学力の欠陥部分を見つけて志望大合格水準に到達するのに校内順位確保は有効。いきなり4番は無理。一学期で8番以内、二学期で4番以内を目標に。そのためには…何をすればいいのだろうか。
昨年、いまひとつ取り組みが不十分だった部分
1.志望大対策
⇒早期からの過去問研究/予備校の講座利用/志望大プレ受験
2.データ出力の場の確保
⇒模試を大量に受ける。目標とする模試は河合塾、他模試は演習量確保/場慣れのために受験。何故河合塾か;国公立標準レベル/母集団の大きさ/近隣で受験可能。
3.体調管理
⇒食事と睡眠時間の改善。3食6時間。
4.受験資金集め
⇒23万=受験諸費用7万+旅費16万。前半アルバイト増、生活費さらにカット。
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あと299日 距離測定/菊川怜
2003年3月24日戦争五日目。来年二月に到達すべき二次点数との距離測定開始。最初に合格点数との距離・解答のズレを測っておかないと、今後とりあえず学習を再開しても、弾ばかり無駄にしてしまう気が強くしたため。昨年は過去問ノートを作って時々眺めていたが、あまり役に立たなかった。眺めるだけではダメ。最後の二月に真剣に過去問を解いたとき気づいた。面倒でも一度解いておかないと、記憶にほとんど残らず、市販問題集の取捨選択にも活用できない。まとまった時間は…今か、GWしか取れない。
【英語】2002過去問:読解2つ、内容説明・和訳中心。やや読みにくい文章だが、大分より取っ付きやすい。リスニング標準問題、長大と較べると問題文・選択肢ともに短文で平易。ただし耳鳴らしは常に必要。短文の英作文、平易。時間ちょうど。読解と英作文にウェートをかけた勉強が必要。
【数学】2002過去問:難。完答なし、正解と大きくズレている。確率が特に深刻(大分も同様)。数1・2・3・Cそれぞれから一問出題、出題分野の偏りがあまり感じられなかった。
【化学】2002過去問:標準〜易。時間ちょうど。実験における操作方法、理由の明記(記述模試で常に問われる部分と大差ない気がする)。理論の融合問題。計算は意外と少なく、平易。無機が手薄、知識問題5割しか得点できていない。有機も。どちらも標準〜あるいは平易なレベル、対応できるはず。風呂化学で即答練習必要。
夜。雨上り決死隊がMCを勤めるTV番組で、菊川怜が国語(四字熟語)の虫食い問題
・絶体絶命/良妻賢母/意味深長
をスラスラと解答。私も正解ではあったが、解答時間は菊川氏の2倍を要した。次の数学(平行線からの求角)も同様。補助線を一本引く解答方針はすぐ思い付いたが、菊川氏のほうがシンプルな解答を提示していた。言い知れぬ恐怖感。この人、もうとっくの昔に受験勉強を卒業しているはずなのに。…センター後に志望校変更して地方大学安全圏で出してくる人、いわゆる「上から降りて来る人達」とは、会ったことはないけどこういうレベルの人達ではないだろうか…。基礎学力ではまず勝てないのだから、経験則と有効戦術で迎え撃つより他ないのだろう。
メモ
・必勝「受験食」3食きちんと 免疫力を高める
http://www.mainichi.co.jp/life/women/hyakka/2001/0205.html
【英語】2002過去問:読解2つ、内容説明・和訳中心。やや読みにくい文章だが、大分より取っ付きやすい。リスニング標準問題、長大と較べると問題文・選択肢ともに短文で平易。ただし耳鳴らしは常に必要。短文の英作文、平易。時間ちょうど。読解と英作文にウェートをかけた勉強が必要。
【数学】2002過去問:難。完答なし、正解と大きくズレている。確率が特に深刻(大分も同様)。数1・2・3・Cそれぞれから一問出題、出題分野の偏りがあまり感じられなかった。
【化学】2002過去問:標準〜易。時間ちょうど。実験における操作方法、理由の明記(記述模試で常に問われる部分と大差ない気がする)。理論の融合問題。計算は意外と少なく、平易。無機が手薄、知識問題5割しか得点できていない。有機も。どちらも標準〜あるいは平易なレベル、対応できるはず。風呂化学で即答練習必要。
夜。雨上り決死隊がMCを勤めるTV番組で、菊川怜が国語(四字熟語)の虫食い問題
・絶体絶命/良妻賢母/意味深長
をスラスラと解答。私も正解ではあったが、解答時間は菊川氏の2倍を要した。次の数学(平行線からの求角)も同様。補助線を一本引く解答方針はすぐ思い付いたが、菊川氏のほうがシンプルな解答を提示していた。言い知れぬ恐怖感。この人、もうとっくの昔に受験勉強を卒業しているはずなのに。…センター後に志望校変更して地方大学安全圏で出してくる人、いわゆる「上から降りて来る人達」とは、会ったことはないけどこういうレベルの人達ではないだろうか…。基礎学力ではまず勝てないのだから、経験則と有効戦術で迎え撃つより他ないのだろう。
メモ
・必勝「受験食」3食きちんと 免疫力を高める
http://www.mainichi.co.jp/life/women/hyakka/2001/0205.html
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あと301日 標的確認
2003年3月22日戦争三日目。終日、祖母の付き添いで忙しく過ごす。夜、過去問を見ながら志望校再考。やはり、スタートの段階である程度絞っておくことに。本音を言えば、入れる大学医学部ならどこでも良い。だがどこでも良いままでは、漫然と学力を上げる勉強しか出来ず、各大学に特化した勉強をしてきた受験生と最終二月の段階で対等に戦える見込みは薄い。去年が結局そういう失敗パターンだったではないか。そう思い返して志望校再考をすると、やはりこの序列で落ち着く。
前期:熊本/大分
後期:熊本/高知
大分と高知は本年度受験校であり、対策におけるある程度の下地が出来ているので照準を合わせやすいだろう。「今年落ちたからもう来年は受けない」というのは、はっきり言って感情的な結論でしかない。他の大学より対策が始めやすいのだから、この二大学は外せない。熊本は、二次相性/地理的要因/経済面/周囲との関係調整の面から、第1志望校に持ってくるのが妥当かと思われる。
昨年は…
前期:旭川/岐阜/滋賀/香川/熊本/長崎/大分/宮崎/琉球.
後期:札幌/熊本/大分/高知
という志望校選定状態で、センターまで突っ走ってしまった。ただでさえ時間が足りない状況だったのに、対応すべき過去問ジャンルを自分でさらに増やして…自滅行為だった。過去問自体は、パラパラめくり程度で時折見るには見ていた。だが結局、出願校を決めてその大学の過去問を真剣に解いたのは、センター終了後。大分県民・高知県民と対等に渡り合えたかと自問すれば、いいやだいぶ負けていた、と認めざるを得ない。
熊本・大分・高知。このくらい絞ってスタートしたほうが、要領悪い私にはちょうど良いだろう。
前期:熊本/大分
後期:熊本/高知
大分と高知は本年度受験校であり、対策におけるある程度の下地が出来ているので照準を合わせやすいだろう。「今年落ちたからもう来年は受けない」というのは、はっきり言って感情的な結論でしかない。他の大学より対策が始めやすいのだから、この二大学は外せない。熊本は、二次相性/地理的要因/経済面/周囲との関係調整の面から、第1志望校に持ってくるのが妥当かと思われる。
昨年は…
前期:旭川/岐阜/滋賀/香川/熊本/長崎/大分/宮崎/琉球.
後期:札幌/熊本/大分/高知
という志望校選定状態で、センターまで突っ走ってしまった。ただでさえ時間が足りない状況だったのに、対応すべき過去問ジャンルを自分でさらに増やして…自滅行為だった。過去問自体は、パラパラめくり程度で時折見るには見ていた。だが結局、出願校を決めてその大学の過去問を真剣に解いたのは、センター終了後。大分県民・高知県民と対等に渡り合えたかと自問すれば、いいやだいぶ負けていた、と認めざるを得ない。
熊本・大分・高知。このくらい絞ってスタートしたほうが、要領悪い私にはちょうど良いだろう。
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後期試験合格発表日
2003年3月21日戦争二日目。
昨夜は一晩中うなされた。起きると不合格。前期同様、web合格発表を利用する。落胆。この一周間、何も出来なかったことに、己の精神的弱さを痛感する。Kさんは通ったのだろうか。あのとき桂浜で、受験番号を聞かれてあえて答えなかったのは、今日に備えてのこと。Hさんは。どちらも良い方だった。あの方々が合格しているのなら、負けたことの納得も十分にいく気がする。
…また、今後の機会に賭けることになった。スタートの時点で、既に強い疲労感を感じている状態。ただ二年前と違う点は、周囲の応援を思いがけず得ていること。「ここで諦めるよりむしろ、もう1年頑張って来年医学部に合格したほうが、あなたにとってはずっと良い」友人・初対面の方両方が、何故か同じことを言う。もう何年もこんな生活を続けているせいだろうか。ありがたいこと。あとは…やはり父の了解を、一度実家に戻って正式に取りつけて来なければならない。
昼。代ゼミにて入学手続き。全額免除。大手予備校で通学範囲内にある予備校は、ここしかなかった。本当はやはり、駿台に通いたい。医系には定評があり、再受験仲間の多くも駿台経由で合格しているから。だが大学の合間に、往復5時間もかけて通学するのは不可能だ。職員の方は、高校卒業年度を見て一瞬「?」という顔をされた。事情を話すと、「ああ…そういうことですか。慣れていますから、全然問題ないですよ」と言って下さった。もともと、朝から授業に出る気は全くない。模試と自習室、たまの校内総合テストだけ利用することになるだろう。使い倒す。使い倒されない。…ただ、医系小論文と英作文は添削者が必要なので可能な限り授業を受けていくことになる。
夜。感傷に浸っている暇もなく、いきなり祖母が訪ねて来る。無連絡。明日はこちらで法事出席、私も同席とのこと。大学連絡係Mさんに電話。新学期オリエンテーションの日取り等を教えてもらう。またここで、もう1年、頑張っていく。動きながら、自分にそう教え込ませている。
昨夜は一晩中うなされた。起きると不合格。前期同様、web合格発表を利用する。落胆。この一周間、何も出来なかったことに、己の精神的弱さを痛感する。Kさんは通ったのだろうか。あのとき桂浜で、受験番号を聞かれてあえて答えなかったのは、今日に備えてのこと。Hさんは。どちらも良い方だった。あの方々が合格しているのなら、負けたことの納得も十分にいく気がする。
…また、今後の機会に賭けることになった。スタートの時点で、既に強い疲労感を感じている状態。ただ二年前と違う点は、周囲の応援を思いがけず得ていること。「ここで諦めるよりむしろ、もう1年頑張って来年医学部に合格したほうが、あなたにとってはずっと良い」友人・初対面の方両方が、何故か同じことを言う。もう何年もこんな生活を続けているせいだろうか。ありがたいこと。あとは…やはり父の了解を、一度実家に戻って正式に取りつけて来なければならない。
昼。代ゼミにて入学手続き。全額免除。大手予備校で通学範囲内にある予備校は、ここしかなかった。本当はやはり、駿台に通いたい。医系には定評があり、再受験仲間の多くも駿台経由で合格しているから。だが大学の合間に、往復5時間もかけて通学するのは不可能だ。職員の方は、高校卒業年度を見て一瞬「?」という顔をされた。事情を話すと、「ああ…そういうことですか。慣れていますから、全然問題ないですよ」と言って下さった。もともと、朝から授業に出る気は全くない。模試と自習室、たまの校内総合テストだけ利用することになるだろう。使い倒す。使い倒されない。…ただ、医系小論文と英作文は添削者が必要なので可能な限り授業を受けていくことになる。
夜。感傷に浸っている暇もなく、いきなり祖母が訪ねて来る。無連絡。明日はこちらで法事出席、私も同席とのこと。大学連絡係Mさんに電話。新学期オリエンテーションの日取り等を教えてもらう。またここで、もう1年、頑張っていく。動きながら、自分にそう教え込ませている。
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胃痛
2003年3月18日通院。ここ五日ほど、食後に左心喬部に鈍痛を感じて作業効率が著しく低下していた。日が経つにつれて、腹に何も入っていなくても鈍痛を感じるようになっていく。ストレス性の胃炎、とのこと。後期の発表は、やはり無意識にも気になってしまっているようだ。頭ではわかっていても、体はまだ理想的展開にしがみついている、ということか。気にしてどうなるものでもない。
チェックを欠かさぬ掲示板2つともに、また荒れ気味。受験仲間のHPが、また一つ閉鎖。一層、意気消沈する。
チェックを欠かさぬ掲示板2つともに、また荒れ気味。受験仲間のHPが、また一つ閉鎖。一層、意気消沈する。
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「ゆっくり」か「急ぐ」か
2003年3月17日後期試験も終わり、あちこちの受験サイトやweb日記が閉鎖・休止。淋しいが、各々の新しいスタートには必要な儀式。消されては困る大学情報や受験体験記を大量印刷。
「ゆっくり」か「急ぐ」かで迷う3,4月。一般入試前期で合格した知人達をトレースすると、最初からある程度飛ばして、それもセンター主眼でパワー投入している傾向が見受けられた。過去問は4,5月中に、遅い人でも7月までに、各教科5年分は単発で解き終わってしまっている。何故こんなに早く。「本当の敵はセンター」だから。そうだけれども…。国英数だけ夏から徐々に始めていけばいい、というmirさんの指導と違う攻め方だ。前者は「この先いつ勉強出来なくなるかわからないから、勉強できるうちに重要度の高い課題からどんどん潰していく」という考えが根底にあるのだろうか。
だとすれば…私も該当者だ。私がセンター対策を本格的にやったのは、昨年11月移行。12月は入院してほとんど勉強出来なかったから、実質2ヶ月。今年の入試は終わってまだ間もないが、もし後期不合格で来年もまた受験となれば、必然的に「急ぐ」ことが求められる状況になる。
…そういえば何故、社会人経由の医学生や医学部受験者の方々の体験記や受験日誌をこんなに良く読むようになったのだろう。まだ結婚もしていないし、子供も持っていない。考えられる理由としては…
1.緻密な計画。目標達成までを逆算して努力する方法が非常に現実的、また能率的であるから。目標自体が非常に明確・具体的に示されているから。
2.学習評価と計画修正の仕方が具体的であり、そのフォロースルーは必ずその後の学習に活かされているから。
3.もともと勉強にとれる時間は少なく、今後いつ勉強出来なくなるかもわからぬという点は共通しているから(家庭・仕事・健康面・経済面)。時間の使い方と、疲労時の心身回復の仕方が非常に上手い。
4.受験勉強していることを周囲にあまり堂々とは言えない事情がある点は共通しているから。社会人-職場/親戚/ご近所。学生-学校/親戚/ご近所。
5.何があっても地道な努力を最後まで怠らぬから。
…改めて書いてみると、私は上記項目の詰めがかなり甘かったように思う。有効な戦術も持たずにただガムシャラに走ってきた、とでもいえばいいのだろうか。去年度から幾分改善したつもりだけれど、それでもまだまだ、甘い。
合格した方々は、色んな戦術で受験を乗り切っている。ただそのトレースを、私がそのまま実行してもセンター点数が上がるとは限らない。先人達の残したものから、私にも活かせるヒントを探し出すこと。それをやる時間は、恐らく今しかないのだろう。その最後の点だけは、mirさんのアドバイスと一致している気がする。
メモ
・ハンセン病資料集
http://www.try-net.or.jp/~k-ohta/hansen/
・沖縄愛楽園
http://www.hansen-dis.or.jp/okinawa.htm
Kさんが言っていた施設 ハンセン病(らい病)患者入居施設
隔離 平成8年『らい予防法』廃止
「ゆっくり」か「急ぐ」かで迷う3,4月。一般入試前期で合格した知人達をトレースすると、最初からある程度飛ばして、それもセンター主眼でパワー投入している傾向が見受けられた。過去問は4,5月中に、遅い人でも7月までに、各教科5年分は単発で解き終わってしまっている。何故こんなに早く。「本当の敵はセンター」だから。そうだけれども…。国英数だけ夏から徐々に始めていけばいい、というmirさんの指導と違う攻め方だ。前者は「この先いつ勉強出来なくなるかわからないから、勉強できるうちに重要度の高い課題からどんどん潰していく」という考えが根底にあるのだろうか。
だとすれば…私も該当者だ。私がセンター対策を本格的にやったのは、昨年11月移行。12月は入院してほとんど勉強出来なかったから、実質2ヶ月。今年の入試は終わってまだ間もないが、もし後期不合格で来年もまた受験となれば、必然的に「急ぐ」ことが求められる状況になる。
…そういえば何故、社会人経由の医学生や医学部受験者の方々の体験記や受験日誌をこんなに良く読むようになったのだろう。まだ結婚もしていないし、子供も持っていない。考えられる理由としては…
1.緻密な計画。目標達成までを逆算して努力する方法が非常に現実的、また能率的であるから。目標自体が非常に明確・具体的に示されているから。
2.学習評価と計画修正の仕方が具体的であり、そのフォロースルーは必ずその後の学習に活かされているから。
3.もともと勉強にとれる時間は少なく、今後いつ勉強出来なくなるかもわからぬという点は共通しているから(家庭・仕事・健康面・経済面)。時間の使い方と、疲労時の心身回復の仕方が非常に上手い。
4.受験勉強していることを周囲にあまり堂々とは言えない事情がある点は共通しているから。社会人-職場/親戚/ご近所。学生-学校/親戚/ご近所。
5.何があっても地道な努力を最後まで怠らぬから。
…改めて書いてみると、私は上記項目の詰めがかなり甘かったように思う。有効な戦術も持たずにただガムシャラに走ってきた、とでもいえばいいのだろうか。去年度から幾分改善したつもりだけれど、それでもまだまだ、甘い。
合格した方々は、色んな戦術で受験を乗り切っている。ただそのトレースを、私がそのまま実行してもセンター点数が上がるとは限らない。先人達の残したものから、私にも活かせるヒントを探し出すこと。それをやる時間は、恐らく今しかないのだろう。その最後の点だけは、mirさんのアドバイスと一致している気がする。
メモ
・ハンセン病資料集
http://www.try-net.or.jp/~k-ohta/hansen/
・沖縄愛楽園
http://www.hansen-dis.or.jp/okinawa.htm
Kさんが言っていた施設 ハンセン病(らい病)患者入居施設
隔離 平成8年『らい予防法』廃止
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南国に抱かれて
2003年3月14日午前10時、夜行高速バスを終えて帰宅。これで、今年の受験は全て、本当に終わった。合格していることが一番だが、現実的に考えるとやはりそれは確率5-10%程度だろう。
けれども受けて良かった。今回の受験で、現役時以来の固執が一つなくなった気がする。高知医大を含め、高知県全体が、本当に魅力的な街だった。自然・人・住宅環境・学習環境。都市と較べて手軽さが少ない街づくりには幾らか不自由を感じたが、それ以外のものは全て揃っている。九州の大学ばかり受けてきたことに、一つの大学ばかり受けてきたことに、自分の見識の狭さを感じた。あの街でしか働けないわけでは、全然なかった。名を取り、実を失っていた気がする。目的が手段化していた、とも。この暖かい気候なら、老後の両親を呼んでも十分暮らしていけるだろう。他の県だったとしても、何とか暮らしていける気がした。
日誌、明日から新しいノートに↓
http://diary.note.ne.jp/32761/
けれども受けて良かった。今回の受験で、現役時以来の固執が一つなくなった気がする。高知医大を含め、高知県全体が、本当に魅力的な街だった。自然・人・住宅環境・学習環境。都市と較べて手軽さが少ない街づくりには幾らか不自由を感じたが、それ以外のものは全て揃っている。九州の大学ばかり受けてきたことに、一つの大学ばかり受けてきたことに、自分の見識の狭さを感じた。あの街でしか働けないわけでは、全然なかった。名を取り、実を失っていた気がする。目的が手段化していた、とも。この暖かい気候なら、老後の両親を呼んでも十分暮らしていけるだろう。他の県だったとしても、何とか暮らしていける気がした。
日誌、明日から新しいノートに↓
http://diary.note.ne.jp/32761/
高知医科大学後期(面接)受験記録
2003年3月13日6:30起床。悪友Iのモーニングコールで目覚める。スーツを着用し、荷物はホテルに預けて出発。高知駅周辺からタクシー使用(所要20分/昨日より車両混雑)。面接は、受験番号の早い順から第四グループまで割り振られていた。第一グループ(8:30集合)に割り振られていたため、朝からバタバタしながら移動。同じ第一グループで仲良くなった一浪女性Kさんは、時間がなくて朝食もとらずにタクシーを飛ばしてきた、とのこと。5-10分遅刻してきた受験生も2人いた。
集合場所は、昨日の筆記試験会場とは別の建物。目立たぬ建物、非常口のようなところから入館させられた。昨日きちんと場所確認していなかったら、多分定刻までに受験会場に辿り着けなかっただろう。
まず150-200人収容の大講義室のようなところに通された(8:35)。そこで、9:00くらいまで待機。ほとんどの人が、何もせずただ前を向いていた気がする。待たされる時間が長かった人は、面接マニュアル/ノートに目を通していた。私も昨日まとめたノートを最終確認。次に受験番号の早い順から10分間隔で3人ずつ呼ばれ、別の小部屋(ゼミ室ような小さい部屋)外の椅子まで先導される。そこでまた待機。5分くらい待つと自分の受験番号を呼ばれ、小部屋の中に入るよう指示される。
面接開始。
<面接形態>
-----------
● ○ ○←面接官(●は質問係、○は採点係)
☆←時間計測係
◎←私
-----------
. _|←待機スペースと椅子3脚
-----------
<時間>10分
<質問内容>
●「高知医科大学の面接を始めますが、面接に関しては幾らか知っていますか。毎年色々変えてはいるのだけれども、今年はある想定のもとに起こる困難について、どのように対処していくか意見を述べてもらいます。」
↓
「大学医学部を卒業の後、研修を経て卒後三年経過。雪深い土地、たとえば北海道の過疎村にある医師一人のみの診療所に赴任したと想定してください。そこで起こる困難やそのほかのことは、どんなことが予想されますか?」
これから派生して色々と質問された。面接の雰囲気は非常に和やかで、●面接官は終始笑みを絶やさず、こちらの主張を最後までよく聞いてくれた。何となく気弱な感じにさえ見えた。恐らくこちらをリラックスさせて意見を述べさせるために、わざとそういう役を演じているのだろうと推測。○面接官2人にはほとんど視線を合わせなかったが、私の説明に手がついたり(ジェスチャー)、稚拙な言葉(話を聞くとき、ウン、ウンと言いながら頷いてしまう癖)を使ったとき、いきなりカリカリと何か書き出していた(態度)。他、与題に対して論理的思考が出来ているかをチェックされていた気がした(答えを返す度に何か書いていた)。考える時間が長いときも何か書かれていた気がする。
派生質問の内容
「先端医療から遅れることには、どう対処していくか」
「ある日、雪が1-2m積もって急患が入った。そのときどう対処するか。」
「君は九州出身だが、北海道とかいうそういう寒いところでもやっていけそうか」
「医師一人のみの診療所(看護師なし)に赴任中だが、都心の研修会に出かけて先端医療の勉強をしてくるときどう対処するか」
「休みがほとんど取れないと思うのだが、趣味はどうするか」
終わった直後は、よく答えられた、と思った。がしばらく時間が経ってみると、少しズレた回答をしていた部分も多々見受けられたことに気づく。面接官から与えられた想定場面を、部分的に分析し漏らしていたことが原因。とくに「大卒後、研修を経て卒後三年経過。」の部分。少ない臨床経験で、しかも即座には他医療従事者からの応援を受けられない状態では、もっと出来ることは少なかったはず。雪をほとんど経験せず育ってきているため、非現実的な対処法を主張してしまった部分あり。
恐らく、その部分は「論理的思考が出来ていない/状況分析不適当」とマイナス評価をされていることだろう。
あっという間に10分は過ぎた(9:40退館)。緊張していたせいと、考えることに必死になっていたせいだろう。
…今回、役に立ったことは僅かながらやっている大学レポート作成手順(論理的思考)。それから社会人経由の医学生の方とのwebでのやりとり、医療系の旧友TとMとのコンタクト。視点が、私よりずっと広い。そして大学は…。02面接質問の誤答からもわかるように、そういう人を必要にしているのだ、と思った。今後もっと、様様な分野出身の医療系の方とのコミュニケートをとっていくことが必要。
集合場所は、昨日の筆記試験会場とは別の建物。目立たぬ建物、非常口のようなところから入館させられた。昨日きちんと場所確認していなかったら、多分定刻までに受験会場に辿り着けなかっただろう。
まず150-200人収容の大講義室のようなところに通された(8:35)。そこで、9:00くらいまで待機。ほとんどの人が、何もせずただ前を向いていた気がする。待たされる時間が長かった人は、面接マニュアル/ノートに目を通していた。私も昨日まとめたノートを最終確認。次に受験番号の早い順から10分間隔で3人ずつ呼ばれ、別の小部屋(ゼミ室ような小さい部屋)外の椅子まで先導される。そこでまた待機。5分くらい待つと自分の受験番号を呼ばれ、小部屋の中に入るよう指示される。
面接開始。
<面接形態>
-----------
● ○ ○←面接官(●は質問係、○は採点係)
☆←時間計測係
◎←私
-----------
. _|←待機スペースと椅子3脚
-----------
<時間>10分
<質問内容>
●「高知医科大学の面接を始めますが、面接に関しては幾らか知っていますか。毎年色々変えてはいるのだけれども、今年はある想定のもとに起こる困難について、どのように対処していくか意見を述べてもらいます。」
↓
「大学医学部を卒業の後、研修を経て卒後三年経過。雪深い土地、たとえば北海道の過疎村にある医師一人のみの診療所に赴任したと想定してください。そこで起こる困難やそのほかのことは、どんなことが予想されますか?」
これから派生して色々と質問された。面接の雰囲気は非常に和やかで、●面接官は終始笑みを絶やさず、こちらの主張を最後までよく聞いてくれた。何となく気弱な感じにさえ見えた。恐らくこちらをリラックスさせて意見を述べさせるために、わざとそういう役を演じているのだろうと推測。○面接官2人にはほとんど視線を合わせなかったが、私の説明に手がついたり(ジェスチャー)、稚拙な言葉(話を聞くとき、ウン、ウンと言いながら頷いてしまう癖)を使ったとき、いきなりカリカリと何か書き出していた(態度)。他、与題に対して論理的思考が出来ているかをチェックされていた気がした(答えを返す度に何か書いていた)。考える時間が長いときも何か書かれていた気がする。
派生質問の内容
「先端医療から遅れることには、どう対処していくか」
「ある日、雪が1-2m積もって急患が入った。そのときどう対処するか。」
「君は九州出身だが、北海道とかいうそういう寒いところでもやっていけそうか」
「医師一人のみの診療所(看護師なし)に赴任中だが、都心の研修会に出かけて先端医療の勉強をしてくるときどう対処するか」
「休みがほとんど取れないと思うのだが、趣味はどうするか」
終わった直後は、よく答えられた、と思った。がしばらく時間が経ってみると、少しズレた回答をしていた部分も多々見受けられたことに気づく。面接官から与えられた想定場面を、部分的に分析し漏らしていたことが原因。とくに「大卒後、研修を経て卒後三年経過。」の部分。少ない臨床経験で、しかも即座には他医療従事者からの応援を受けられない状態では、もっと出来ることは少なかったはず。雪をほとんど経験せず育ってきているため、非現実的な対処法を主張してしまった部分あり。
恐らく、その部分は「論理的思考が出来ていない/状況分析不適当」とマイナス評価をされていることだろう。
あっという間に10分は過ぎた(9:40退館)。緊張していたせいと、考えることに必死になっていたせいだろう。
…今回、役に立ったことは僅かながらやっている大学レポート作成手順(論理的思考)。それから社会人経由の医学生の方とのwebでのやりとり、医療系の旧友TとMとのコンタクト。視点が、私よりずっと広い。そして大学は…。02面接質問の誤答からもわかるように、そういう人を必要にしているのだ、と思った。今後もっと、様様な分野出身の医療系の方とのコミュニケートをとっていくことが必要。
高知医科大学後期(筆記試験)受験記録
2003年3月12日7:00起床。悪友Iのモーニングコールで目覚める。
高知駅周辺からタクシー使用(所要10分)。
マークシート使用の解答方式とは知らず、シャープペンしか持ってきていなかった(選択肢に○をつけていく解答方式と勝手に思い込んでいた)。右隣の男性が、センター試験のときと同じように鉛筆をたくさん机の上に載せているを見て、「しまった」と思った。
・問題解決能力試験A問題(午前)
一番前の席。25問マーク式/大問4つ。医学・生物系考察問題目立つ。傾向分析したのは5年分、まともに解いたのは3年分。それでも問題慣れは幾らか出来ていたようで、10分早く解き終わる。感触は良かったものの、もっと早く過去問を解き始めていれば、と反省する。
(昼食)皆外に出て食べていた。もともと温暖な気候であるし、快晴だったためか。勉強している受験生はほとんど見受けられず、皆ただぼうっとしているように感じた。いまさら対策しても差は出ない、ということなのか。明日の面接対策に少しでも手をつけておきたかったため、一人になれる場所を探して大学裏手に回る。お洒落な帽子を被った血色の良い女性が一人。ああ学内生かと思ったら「一緒に食べませんか?」と声を掛けられ、沖縄から来た一浪受験生であることに気づく。快活で話しやすい方だったので、気になっていた2002面接問題「医療現場で意見の対立がどう対処か?」を試しに質問。「皆の意見を聞いて、その場でとれる最善の治療法を選択する。」という自分と全く同じ解答をもらい、戸惑う。これは恐らく違う正答がありそうだと推測。
・問題解決能力試験B問題(午後)
25問マーク式/大問5つ。やはり図形・計算問題多し。時間が足りず、意識的にスピードを上げて解く。
試験が終了後、ホテルにて面接対策。ディベート形式対策は、ほとんどせず。「主観を入れず状況分析・判断・対処する。」と再確認したくらいか。一方の一般的質問に対する回答方針のみ固める。志望動機とこの大学の志望動機、そして大学在学中であるのに受験しに来た理由をガッチリ固め、可能な限り状況想定して派生回答を考えた。webで得た面接情報も参考にする。
夜、医療系学部に進んだ旧友T(NS)とM(OT)にコンタクトをとる。お昼に気になっていた2002質問回答をぶつけてみる。
T姉「リーダーとして最終的には自分が決める、とは何事?診断するから偉いってわけじゃない。そんな考えがあるから、横柄な医者が増えるのよ。」
M「チーム医療の授業を受けたんだけど…その考え方はたしか一番ダメなタイプと教えられた気がする。医師を頂点とするピラミッド型のチーム医療体制は他職種からの反感を買う。医師がリーダーになってもいいが、全員並列の立場で対等に意見を言い合える状況がベター。ピラミッド型じゃなくて、円形というか、何と言うか…。」
焦って必死に回答修正。最終的に、以下のような回答を用意した。
「全員対等で意見を言い合うのが理想だが、実際は意見のまとめ役がいないと機能しない。だから一応医師がまとめ役として機能し、自分の意見を言い、他職種から意見を聞いて相互作用しあい、自分の意見を再び出して他職種にも納得いくように意見調整していく」
そう主張すると、旧友T,MともにOKサインを出してくれた。
素人の私には「医師が診断や治療方針を決める職責を負う」という考え方しかなかった。また、今まで医学科ばかり受験してきたせいもあってか医師の立場からしか、それもかなり偏見が入った見方でしか医療現場を想定することが出来ていなかった。旧友TとMに深く感謝。
考えすぎて消灯予定23:00を過ぎ、結局0:30までメールや電話でのやりとりが続いた…。
デパス2錠で就寝。
高知駅周辺からタクシー使用(所要10分)。
マークシート使用の解答方式とは知らず、シャープペンしか持ってきていなかった(選択肢に○をつけていく解答方式と勝手に思い込んでいた)。右隣の男性が、センター試験のときと同じように鉛筆をたくさん机の上に載せているを見て、「しまった」と思った。
・問題解決能力試験A問題(午前)
一番前の席。25問マーク式/大問4つ。医学・生物系考察問題目立つ。傾向分析したのは5年分、まともに解いたのは3年分。それでも問題慣れは幾らか出来ていたようで、10分早く解き終わる。感触は良かったものの、もっと早く過去問を解き始めていれば、と反省する。
(昼食)皆外に出て食べていた。もともと温暖な気候であるし、快晴だったためか。勉強している受験生はほとんど見受けられず、皆ただぼうっとしているように感じた。いまさら対策しても差は出ない、ということなのか。明日の面接対策に少しでも手をつけておきたかったため、一人になれる場所を探して大学裏手に回る。お洒落な帽子を被った血色の良い女性が一人。ああ学内生かと思ったら「一緒に食べませんか?」と声を掛けられ、沖縄から来た一浪受験生であることに気づく。快活で話しやすい方だったので、気になっていた2002面接問題「医療現場で意見の対立がどう対処か?」を試しに質問。「皆の意見を聞いて、その場でとれる最善の治療法を選択する。」という自分と全く同じ解答をもらい、戸惑う。これは恐らく違う正答がありそうだと推測。
・問題解決能力試験B問題(午後)
25問マーク式/大問5つ。やはり図形・計算問題多し。時間が足りず、意識的にスピードを上げて解く。
試験が終了後、ホテルにて面接対策。ディベート形式対策は、ほとんどせず。「主観を入れず状況分析・判断・対処する。」と再確認したくらいか。一方の一般的質問に対する回答方針のみ固める。志望動機とこの大学の志望動機、そして大学在学中であるのに受験しに来た理由をガッチリ固め、可能な限り状況想定して派生回答を考えた。webで得た面接情報も参考にする。
夜、医療系学部に進んだ旧友T(NS)とM(OT)にコンタクトをとる。お昼に気になっていた2002質問回答をぶつけてみる。
T姉「リーダーとして最終的には自分が決める、とは何事?診断するから偉いってわけじゃない。そんな考えがあるから、横柄な医者が増えるのよ。」
M「チーム医療の授業を受けたんだけど…その考え方はたしか一番ダメなタイプと教えられた気がする。医師を頂点とするピラミッド型のチーム医療体制は他職種からの反感を買う。医師がリーダーになってもいいが、全員並列の立場で対等に意見を言い合える状況がベター。ピラミッド型じゃなくて、円形というか、何と言うか…。」
焦って必死に回答修正。最終的に、以下のような回答を用意した。
「全員対等で意見を言い合うのが理想だが、実際は意見のまとめ役がいないと機能しない。だから一応医師がまとめ役として機能し、自分の意見を言い、他職種から意見を聞いて相互作用しあい、自分の意見を再び出して他職種にも納得いくように意見調整していく」
そう主張すると、旧友T,MともにOKサインを出してくれた。
素人の私には「医師が診断や治療方針を決める職責を負う」という考え方しかなかった。また、今まで医学科ばかり受験してきたせいもあってか医師の立場からしか、それもかなり偏見が入った見方でしか医療現場を想定することが出来ていなかった。旧友TとMに深く感謝。
考えすぎて消灯予定23:00を過ぎ、結局0:30までメールや電話でのやりとりが続いた…。
デパス2錠で就寝。
あと1日 根拠なくとも
2003年3月11日午後3時の航空便にて高知入り。航空機の中で99過去問に目を通すも、離着陸のときは酔いと怖さで全く勉強できず。とくに着陸の際、ひどい耳痛。一方、上空で高度が安定しているときは、幾らか勉強できた。空港からホテルにバス移動中、小林公夫の面接対策本を読む。まだ2-3割程度しか対策できておらず、非常に不安が募っていた。所属学部の性質上、質問されそうな専門的議題を中心に読み込む。
・00過去問A/B問題。
・99,98問題傾向のみ見る。
胃がまいっているので、カフェイン摂取(ガム/コーヒー/お茶)を注意深く避ける。デパス2錠で0:00就寝。
・思いがけず、多くの方に助けていただいた。ありがとう。バタバタしているので、多くは書けないけれど。最後は、根拠なくとも自信を持って。
頑張ってきます。
・00過去問A/B問題。
・99,98問題傾向のみ見る。
胃がまいっているので、カフェイン摂取(ガム/コーヒー/お茶)を注意深く避ける。デパス2錠で0:00就寝。
・思いがけず、多くの方に助けていただいた。ありがとう。バタバタしているので、多くは書けないけれど。最後は、根拠なくとも自信を持って。
頑張ってきます。
あと3日 準備/再照準
2003年3月9日 気持ちの入れ方一つで、体にかかるGが変ることに気づく。昼、ブラックブラックガムを噛んでいて吐き戻す。考えてみるとコーヒーもここ1週間飲まなくなってしまっている。後期を受けに行くと決めた昨日以来、胃が本格的にまたカフェイン拒絶反応を起こし始めたようだ。前期直前期のときと同じ状態。何か口に入れていないと落ち着かないので、カフェインを含まないキシリトールガムに切り換える。
とらさんHP「持っていくべきものリスト」を参考にしながら、後期受験旅行の荷物をまとめる。何となく見直した募集要項に「電卓と直定規を必ず持ってきてください」という記載を見つけ、慌てて準備する。前期試験のときも「コンパス持参」と募集要項にあったのを読み落して持っていかなかった。記述模試の感覚で準備するから、そんな準備ミスをしてしまうのだろう。基本的に、模試と二次本番では、使える道具が異なる。
webで面接関連情報をかき集める。思いがけず、受験経験のある方から情報提供の申し出。深く感謝。何にも知らないで受けにいくより、ずっと気が楽になった気がする。
対策できるとしても、明日まで。何も対策しないで受けにいくのも…まあ一つの手だ。落ちたときのダメージが少ないから。現役時代に受けた長崎大学後期がそうだった。だが、少しでも対策していったほうが、もし結果が出せなくても後々役に立てやすい。模試がそうだった。全然対策せず目的意識が定まらず受けた模試と、それを目標にして勉強して受けた模試は、模試ノートで後から復習したとき記憶定着度が違った。明らかに後者の模試受験のほうが、マスター度が高かった。…少しでもいいから、対策して受ける。多分、フラッシュバック復習法と同じ論理なのだろう。感情を伴った出来事は記憶に残りやすい。
…面接で使えるネタはないかな、と大学紹介パンフレットをめくってみる。見ていると、だんだん行きたくなってきた。カメラマンの腕が良いのか何なのか、皆とても楽しそうだ。教授紹介ページを見ると、各教授とも何だか思い思いの決めポースをとって写っておられた。南国だから皆陽気なのかな…。一応大学生だから、パンフレットと実際の違いはある程度測れるつもりだ。その視点で見ても、前期パンフレットより明らかに充実した内容。ああ…行きたくなってきた!ここで勉強、したい。
02過去問B問題。8/25.
とらさんHP「持っていくべきものリスト」を参考にしながら、後期受験旅行の荷物をまとめる。何となく見直した募集要項に「電卓と直定規を必ず持ってきてください」という記載を見つけ、慌てて準備する。前期試験のときも「コンパス持参」と募集要項にあったのを読み落して持っていかなかった。記述模試の感覚で準備するから、そんな準備ミスをしてしまうのだろう。基本的に、模試と二次本番では、使える道具が異なる。
webで面接関連情報をかき集める。思いがけず、受験経験のある方から情報提供の申し出。深く感謝。何にも知らないで受けにいくより、ずっと気が楽になった気がする。
対策できるとしても、明日まで。何も対策しないで受けにいくのも…まあ一つの手だ。落ちたときのダメージが少ないから。現役時代に受けた長崎大学後期がそうだった。だが、少しでも対策していったほうが、もし結果が出せなくても後々役に立てやすい。模試がそうだった。全然対策せず目的意識が定まらず受けた模試と、それを目標にして勉強して受けた模試は、模試ノートで後から復習したとき記憶定着度が違った。明らかに後者の模試受験のほうが、マスター度が高かった。…少しでもいいから、対策して受ける。多分、フラッシュバック復習法と同じ論理なのだろう。感情を伴った出来事は記憶に残りやすい。
…面接で使えるネタはないかな、と大学紹介パンフレットをめくってみる。見ていると、だんだん行きたくなってきた。カメラマンの腕が良いのか何なのか、皆とても楽しそうだ。教授紹介ページを見ると、各教授とも何だか思い思いの決めポースをとって写っておられた。南国だから皆陽気なのかな…。一応大学生だから、パンフレットと実際の違いはある程度測れるつもりだ。その視点で見ても、前期パンフレットより明らかに充実した内容。ああ…行きたくなってきた!ここで勉強、したい。
02過去問B問題。8/25.
あと4日 「頑張れ!」/ドライ
2003年3月8日後期分航空機・宿を手配する。確率的に見ると巻き返しは不可能。最終的に、経験を買うのに10万円は安いか高いかで悩む。早朝「逃げんな」というメールで目を覚ます。七割がた受験を諦めていた状態だったので、半日鬱々と考え続ける。冷静に判断したつもりだったのだが。多分、今の私の頭は他から見ると全然冷静になれていないのだろう。父にお金を返したとしても、同じことを言われる気がする。これまでも受験関連で忠告を突っぱねて我を通したときは、ことごとく失敗し、後悔だけが残った。
・現役時:インターハイ出場が決まっていたのに、「長大医学部を受けるから部活を夏まで続ける時間は惜しい」という理由で辞退。周囲は猛反対。結局後悔する。
・一浪時:佐賀医科でB判定が出ていたのに、周囲の忠告を無視して土壇場で第1志望の長崎大D判定に出願変更。結局落ちた。
・二年目:宮崎医科でB判定が出ていたのに、「遠い/二次問題が汚い/全体的にバクチっぽい」という理由で周囲の忠告を無視。近いが二次問題相性が非常に悪い佐賀医科C判定を受験。結局落ちた。
…恐らく、目先の苦しさにとらわれて長期的視点が持てなくなっていたせいだろう。切羽詰ってくると短期的視点のみで判断し、結局後悔だけが残る。受験票はある。受ける以外に、何の選択肢があるというのだろう。そう思うのだけれど、どこかで確率論を唱え始める自分もいる。「勝てないとほぼわかっている試合をしに行って、どうするというのだろう」と。過去の失敗決断のときと、何となく同じ心理状態だ。後で振りかえると、こういうときの私の主張は子供の駄々こねと同レベルであることが多い。ということは…。やっぱり受けるのが最善策。
ただ助言があったとはいえ、最終的に受験を決めたのは、自分自身。私は私のために受験しに行く。上手く行けば巻き返せるかも知れない、ダメでも来年に生かせる経験になることは確実。お金は…。長い目で見ると、きっと無駄にはならないだろう。
>「頑張れ!」という言葉が心に重くのしかかる。やはり鬱が入ってしまっているようだ。ネットで見る前期落ちの方々は、思ったよりドライ。多分それなりに気落ちしているはずなのだが、文章にさほど表れていない。このドライさは、何処から。敗因をいち早く分析して、気持ちを切り替え、今後に備えるためには必要な感情だ。どうすれば身につくのだろうか。私もドライになりたい。
・現役時:インターハイ出場が決まっていたのに、「長大医学部を受けるから部活を夏まで続ける時間は惜しい」という理由で辞退。周囲は猛反対。結局後悔する。
・一浪時:佐賀医科でB判定が出ていたのに、周囲の忠告を無視して土壇場で第1志望の長崎大D判定に出願変更。結局落ちた。
・二年目:宮崎医科でB判定が出ていたのに、「遠い/二次問題が汚い/全体的にバクチっぽい」という理由で周囲の忠告を無視。近いが二次問題相性が非常に悪い佐賀医科C判定を受験。結局落ちた。
…恐らく、目先の苦しさにとらわれて長期的視点が持てなくなっていたせいだろう。切羽詰ってくると短期的視点のみで判断し、結局後悔だけが残る。受験票はある。受ける以外に、何の選択肢があるというのだろう。そう思うのだけれど、どこかで確率論を唱え始める自分もいる。「勝てないとほぼわかっている試合をしに行って、どうするというのだろう」と。過去の失敗決断のときと、何となく同じ心理状態だ。後で振りかえると、こういうときの私の主張は子供の駄々こねと同レベルであることが多い。ということは…。やっぱり受けるのが最善策。
ただ助言があったとはいえ、最終的に受験を決めたのは、自分自身。私は私のために受験しに行く。上手く行けば巻き返せるかも知れない、ダメでも来年に生かせる経験になることは確実。お金は…。長い目で見ると、きっと無駄にはならないだろう。
>「頑張れ!」という言葉が心に重くのしかかる。やはり鬱が入ってしまっているようだ。ネットで見る前期落ちの方々は、思ったよりドライ。多分それなりに気落ちしているはずなのだが、文章にさほど表れていない。このドライさは、何処から。敗因をいち早く分析して、気持ちを切り替え、今後に備えるためには必要な感情だ。どうすれば身につくのだろうか。私もドライになりたい。
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後期受験-再検討
2003年3月7日朝から下腹の調子悪し。下血して黒い便になっていることに気づく。昨年12月、憩室炎で入院中にも同じ色の便が出た。あのときはたしか、入院中のストレスで急性腸炎になっているためと言われた気がする。終日ガムを噛んでいるせいか、口の中に幾つかできものが出来て発熱。食事はヨーグルトにみかん/シリアル/ナッツを混ぜたもので済ます。前期試験が終わって、少しずつ気が抜け出したのだが、昨日発表が終わって、どっと疲れが出た感じだ。4日後の航空機・宿予約のために旅行会社に行くつもりだったが、終日動けず。あと5日。…もう、受けにいくまいか。10万円…。父が必死に働いて稼いだ10万円が、このままの状態で受験しに行くと確実に無駄になってしまう。
合格発表は3/10東大までまだ続く様子。感想としては…やはり順当勝ち。センター690以上で二次大量死していない方々は、ほとんど受かっておられた。また690ラインの方でも前期不合格を確信しておられた方々は、やはりその通りの結果になっておられた。たくさん模試を受けてきているせいか、そこらへんの読みはやはり当たってしまうのだと思う。
DiaryNote系再受験生日記においても「この人は、多分2003年前期で受かるだろうな…」と以前から何となく感じていた方は、やはり前期でしっかり合格なさっていた。…地道に頑張ってこられた方(例:桃色ピンクさん)/たくさん苦悩してそれでも歯を食いしばって乗り越えてこられた方(例:ayaka_dofamiさん)。神様はちゃんと見て下っているだな、とふと思った。こういう方々と較べると、やはり私はまだまだだったのだな、という自覚が生まれる。悲劇のヒロインを演じるつもりは全くなく、やはりセンター613とあの二次力ではまずかったな、と冷えた頭で思う。この経験は、必ずこれからに生かす。
さても高知。後期。落ちてもいいから受験して来い、という父の意向を無視するか否か。Bライン-47、D判定。体調不良。…それを考えると、やはり金と体力の浪費になってしまう気がする。10万円だ。2万や3万の話ではない。合格最低点まであと8割必要。過去問を解く限りでは、平均2-5割弱しか得点できていない。…受ける受けない。どっちを選択するのが賢いのだろうか。
…三月の残りは、これからに備えてしっかり静養し、現大学次期カリキュラムとの調整に充てたほうが賢いのかも知れない。…10万円は、やはり父に返そうか。
メモ
・バイオエシックス用語集1995(木村利人)
http://www.bioethics.jp/imidas95-j.html
・ソリブジン薬害事件
http://asobonet.com/insider/gaiyo.html
合格発表は3/10東大までまだ続く様子。感想としては…やはり順当勝ち。センター690以上で二次大量死していない方々は、ほとんど受かっておられた。また690ラインの方でも前期不合格を確信しておられた方々は、やはりその通りの結果になっておられた。たくさん模試を受けてきているせいか、そこらへんの読みはやはり当たってしまうのだと思う。
DiaryNote系再受験生日記においても「この人は、多分2003年前期で受かるだろうな…」と以前から何となく感じていた方は、やはり前期でしっかり合格なさっていた。…地道に頑張ってこられた方(例:桃色ピンクさん)/たくさん苦悩してそれでも歯を食いしばって乗り越えてこられた方(例:ayaka_dofamiさん)。神様はちゃんと見て下っているだな、とふと思った。こういう方々と較べると、やはり私はまだまだだったのだな、という自覚が生まれる。悲劇のヒロインを演じるつもりは全くなく、やはりセンター613とあの二次力ではまずかったな、と冷えた頭で思う。この経験は、必ずこれからに生かす。
さても高知。後期。落ちてもいいから受験して来い、という父の意向を無視するか否か。Bライン-47、D判定。体調不良。…それを考えると、やはり金と体力の浪費になってしまう気がする。10万円だ。2万や3万の話ではない。合格最低点まであと8割必要。過去問を解く限りでは、平均2-5割弱しか得点できていない。…受ける受けない。どっちを選択するのが賢いのだろうか。
…三月の残りは、これからに備えてしっかり静養し、現大学次期カリキュラムとの調整に充てたほうが賢いのかも知れない。…10万円は、やはり父に返そうか。
メモ
・バイオエシックス用語集1995(木村利人)
http://www.bioethics.jp/imidas95-j.html
・ソリブジン薬害事件
http://asobonet.com/insider/gaiyo.html
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あと6日 前期合格発表日
2003年3月6日 前日の疲れで、正午過ぎまで熟睡。起きてネット合格発表を見る。やはり不合格。…悔しかった。けれど涙は出なかった。それは一生懸命頑張らなかったからではない。二次試験終了直後の自己採点において平均5-7割の出来、センターと合算すると昨年合格最低点まであと1割足りていない予想がついていたから。そのため二次終了直後から3/3あたりまで早めに落ち込んでしまっていた。仕方のないこと。順当勝ちなのだ。今、結果はわかったのだから、一刻も早く次に備えること。
不合格を知ってまずやったことは、
・後期出発日までの食料確保。
・後期受験先までの最安旅費ルート探し。
・後期受験先が同じ方とコンタクトを取る。面接関連の情報入手を目的として。
・代ゼミにて入塾相談。やはり全額免除、どのクラスでも受け入れるとのこと。大学の実験と掛け持ちになることをを断って、スーパーレベル国公立医学クラスを予約。
涙は出ない。今までで一番淡々と結果を受け入れている気がする。けれど、どっと押し寄せる疲れと鬱は、耐えがたく強い。
不合格を知ってまずやったことは、
・後期出発日までの食料確保。
・後期受験先までの最安旅費ルート探し。
・後期受験先が同じ方とコンタクトを取る。面接関連の情報入手を目的として。
・代ゼミにて入塾相談。やはり全額免除、どのクラスでも受け入れるとのこと。大学の実験と掛け持ちになることをを断って、スーパーレベル国公立医学クラスを予約。
涙は出ない。今までで一番淡々と結果を受け入れている気がする。けれど、どっと押し寄せる疲れと鬱は、耐えがたく強い。
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あと7日 奈良へ
2003年3月5日5時起き。弟の下宿探し付添いで、京都経由で奈良入りする。
新幹線(往路)において、前日のぶりんさんのHPをプリントアウトしておいたものを読み耽る。模試の位置付けと、必要な学力の伸ばし方が、私よりずっと効率的。計画も早期から緻密だった。体験記からはとくに学ぶところが多かった。…偶然ではあったが、奈良医科大学の近くまで来ていることに気づく。とても静かな町並みだった。
復路において、小林公夫の面接対策本をパラパラ読み。「常識的にまずい」とされる生徒解答をしてしまいがちであることに気づく。02過去問B問題にも少し手をつける。
憧れの古都・京都を観光する暇もなく、奈良→京都→博多と慌しく移動。「合格発表日の前日に、日帰りで奈良に行って来い」とは母も無茶なお願いをしてくれるもんだと思った。が、自宅にいても落ち着いて勉強できていなかった可能性が高い。だから、むしろいい気晴らしになったと思うことに。
新幹線(往路)において、前日のぶりんさんのHPをプリントアウトしておいたものを読み耽る。模試の位置付けと、必要な学力の伸ばし方が、私よりずっと効率的。計画も早期から緻密だった。体験記からはとくに学ぶところが多かった。…偶然ではあったが、奈良医科大学の近くまで来ていることに気づく。とても静かな町並みだった。
復路において、小林公夫の面接対策本をパラパラ読み。「常識的にまずい」とされる生徒解答をしてしまいがちであることに気づく。02過去問B問題にも少し手をつける。
憧れの古都・京都を観光する暇もなく、奈良→京都→博多と慌しく移動。「合格発表日の前日に、日帰りで奈良に行って来い」とは母も無茶なお願いをしてくれるもんだと思った。が、自宅にいても落ち着いて勉強できていなかった可能性が高い。だから、むしろいい気晴らしになったと思うことに。
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あと8日 マイマイ
2003年3月4日後期分旅費の目処立つ。当初の出願予定・大分医科大学で後期分旅費を計算していたため、センター後に出願先を変えたとき貯蓄との差額10万円が生まれた。すぐに捻出できるお金ではとてもなかった。最後はやはり、父に頼った。
父から言われて胸に残った言葉。
「希望は最良を考えても良いが、行動はいつも最悪のときのことを考えて動け。お前はいつも、最良の状態を想定してしか行動できていない。だから条件が少しでも悪くなると、打つ手が無く浪費ばかり増えてしまうのだ。」
「かたつむりになるな。何か言われたりデメリットが生じるとすぐに悲観的になるのは、人間として強くない。お前は弱過ぎる。仮にも医師を目指す人間ならば、状況判断力と行動力は人一倍必要なはず。もっと頭を使え。」
「苦手なものを避けるな。果敢に挑戦しろ。面接があるからと言って小さく縮こまっていてはダメ。仮にも医師を目指す人間なら、どんどん受けて人間性を磨いていかないと。後期は面接があるんだから、ダメだったとしても良い勉強になる。」
「後期可能性がほとんどないのはわかった。じっとしているより、あちこち行って勉強してきなさい。もっと頭を使いなさい。もっと規則正しく生活しなさい。プロはそこら辺のことを抜かり無くやっている。お前は時間ばっかりかかって、結局まだ受験のプロにはなれていない。プロになりなさい。」
…耳が痛い。けれど、全て的を得た忠告。父はいつも、私がぼんやりと頭の中で考えていることを、言葉でズバッと言ってくれる。もっと頭を使わないと、もっと心身ともにタフにならないと。今年ダメだったとしても、これからに繋がるものが、何かなければ。
メモ
・のぶりんのページ
http://members.tripod.co.jp/nobline/
社会人→医学生の方の再受験関連の体験記と基礎知識。面接・駿台医系スーパー・小論文・経済面・奈良医科大対策その他。こういう視点は今まで持っていなかったので、大変参考になる。そうか…。もっと計算高く、もっと敵己を知ってパワー投入していかないと。知っていてるつもりで、結局翻弄されっぱなしだ。
父から言われて胸に残った言葉。
「希望は最良を考えても良いが、行動はいつも最悪のときのことを考えて動け。お前はいつも、最良の状態を想定してしか行動できていない。だから条件が少しでも悪くなると、打つ手が無く浪費ばかり増えてしまうのだ。」
「かたつむりになるな。何か言われたりデメリットが生じるとすぐに悲観的になるのは、人間として強くない。お前は弱過ぎる。仮にも医師を目指す人間ならば、状況判断力と行動力は人一倍必要なはず。もっと頭を使え。」
「苦手なものを避けるな。果敢に挑戦しろ。面接があるからと言って小さく縮こまっていてはダメ。仮にも医師を目指す人間なら、どんどん受けて人間性を磨いていかないと。後期は面接があるんだから、ダメだったとしても良い勉強になる。」
「後期可能性がほとんどないのはわかった。じっとしているより、あちこち行って勉強してきなさい。もっと頭を使いなさい。もっと規則正しく生活しなさい。プロはそこら辺のことを抜かり無くやっている。お前は時間ばっかりかかって、結局まだ受験のプロにはなれていない。プロになりなさい。」
…耳が痛い。けれど、全て的を得た忠告。父はいつも、私がぼんやりと頭の中で考えていることを、言葉でズバッと言ってくれる。もっと頭を使わないと、もっと心身ともにタフにならないと。今年ダメだったとしても、これからに繋がるものが、何かなければ。
メモ
・のぶりんのページ
http://members.tripod.co.jp/nobline/
社会人→医学生の方の再受験関連の体験記と基礎知識。面接・駿台医系スーパー・小論文・経済面・奈良医科大対策その他。こういう視点は今まで持っていなかったので、大変参考になる。そうか…。もっと計算高く、もっと敵己を知ってパワー投入していかないと。知っていてるつもりで、結局翻弄されっぱなしだ。
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あと11日 再照準
2003年3月1日前期。解答速報(HP大分中央予備校による)が出た数学だけまず採点。不合格を確信する。
http://www.oct-net.ne.jp/~chuyobi/kaitou.htm
確実に合っているのは2-1のみ。他は部分点に期待するくらいか。
後期Bボーダーとの差:-47.
二次必要点数:あと311/400点(78%)。誤差を考慮して8割と設定。
現実的に見て、後期は端にも棒にもかからない状況。旅費を捻出する余裕がないことも明らか。
どうするか。受ける方向でまだ頑張るか。今日帰省した際、父とよく相談しなければ。
受験のことだけ考えていていいわけでもない。ただ約束通り進級は決めたから、仮面続行の申し出は受け入れてくれるだろう。…どこまで大学の負担を減らせるか、心身バランスを保って勉強できるか、お金をかけずに勉強できるか。去年よりもっとシビアに降り掛かってくる問題。もう休学のカードは使えない。もう休み休みは出来ない。
「大切なのは燃え尽きることではなく、合格すること」。そう。それだけは、いつも忘れてはいけない。
「仮面浪人して医学部に受かるくらいの学力なら、その前年で受かってるだろ」。それも正しい意見。私は超人でも奇人でも何でもない。…もう1年、大学の合間合間にやって、本当に合格ラインまでいけるか。いつ試験になっても良い状況に、いつも全教科もっていっておかなければならない。今年の受験で痛感したことは、時間のなさと、不慮のアクシデントの多さ。悠長な学習計画を組んで勉強していては、来年も確実に落ちるだろう。
混乱と落ち込み。気づくと二月が終わっていた。仮面の次は、また仮面か…。他に抜け道はないだろ。
ともかくそれらを全部、実家で一度整理してこよう。心身状態が不安定なときは、弾は必ず外れる。
駿台よりスカラシップ生認定証届く。合計30万円の減額とのこと。
http://www.oct-net.ne.jp/~chuyobi/kaitou.htm
確実に合っているのは2-1のみ。他は部分点に期待するくらいか。
後期Bボーダーとの差:-47.
二次必要点数:あと311/400点(78%)。誤差を考慮して8割と設定。
現実的に見て、後期は端にも棒にもかからない状況。旅費を捻出する余裕がないことも明らか。
どうするか。受ける方向でまだ頑張るか。今日帰省した際、父とよく相談しなければ。
受験のことだけ考えていていいわけでもない。ただ約束通り進級は決めたから、仮面続行の申し出は受け入れてくれるだろう。…どこまで大学の負担を減らせるか、心身バランスを保って勉強できるか、お金をかけずに勉強できるか。去年よりもっとシビアに降り掛かってくる問題。もう休学のカードは使えない。もう休み休みは出来ない。
「大切なのは燃え尽きることではなく、合格すること」。そう。それだけは、いつも忘れてはいけない。
「仮面浪人して医学部に受かるくらいの学力なら、その前年で受かってるだろ」。それも正しい意見。私は超人でも奇人でも何でもない。…もう1年、大学の合間合間にやって、本当に合格ラインまでいけるか。いつ試験になっても良い状況に、いつも全教科もっていっておかなければならない。今年の受験で痛感したことは、時間のなさと、不慮のアクシデントの多さ。悠長な学習計画を組んで勉強していては、来年も確実に落ちるだろう。
混乱と落ち込み。気づくと二月が終わっていた。仮面の次は、また仮面か…。他に抜け道はないだろ。
ともかくそれらを全部、実家で一度整理してこよう。心身状態が不安定なときは、弾は必ず外れる。
駿台よりスカラシップ生認定証届く。合計30万円の減額とのこと。
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